皆様、こんにちは。kouです。
今回ヨガの教えの中から、日常においてやってはいけないこととされるヤマ(禁戒)の1つ、アパリグラハ(貪らないこと)についてお話をさせて頂きたいと思います。
何度かこのヤマという言葉が出てきますが、この教えは、インドのヨガスートラという古い文献の中に書かれている大切な教えです。
自分自身を含めた環境の中で平和に穏やかに暮らしていくためには、このヤマ(禁戒)を実践していく必要があるとのことなのです。
今回は、そのヤマの教えの1つ、アパリグラハ(貪らないこと)について私の経験も含めて、皆様にお伝えしたいと思います。
またその際に、身体の構造、特に股関節の扱い方についても一緒に考えてみましょう。
アパリグラハについて
ヨガの教えの中のヤマ(禁戒)の1つアパリグラハとは、物事に対して貪りの心を持たないという意味があります。
人は欲しいものがあったら、それを手に入れたいと強く切望し手に入れる、また別のものが欲しくなるとまた手に入れる、このように際限なく繰り返していく欲求には、貪り続けようとする心の働きがあり、いつまでも忙しく動き回ることで落ち着かなくなって平和を保てなくなるのです。
そのため、アパリグラハ、貪りを手放し心を制御する教えを実践することは、心に穏やかさや安定をもたらし、ご自身に安らぎを与えることに繋がります。
とても大切な教えですよね。貪ることを手放したなら、もっと大切なこと、もっと素晴らしい世界が見えてくるのはないでしょうか。
ヨガを楽しめるように
現在、私はオンラインでのヨガインストラクターとして活動しておりますが、コロナウイルス感染が広がる前は、数件の大きなスポーツ施設、筋トレやウォーキングの器具、プール、100名以上収容可能なスタジオなど、とても充実した設備のあるところでお世話になっていました。
そんな大勢のお客様が集まる場所においては、時に競い合うこと、ちょっとした摩擦のようなことも起きているように思うのです。互いに干渉し合うようなことや不調和を感じることもあります。
例えば、ヨガプログラムが始まる時もそうでした。何かご自身のバランスを崩すようなことがあったのでしょうか、ネガティブな雰囲気を抱えたまま、スタジオに入って来る方々がおられます。
そんな時、スタジオには、何やらただならぬ雰囲気が漂っていることもあるのです。
そんな時、私は敢えてヨガプログラムの最初の挨拶でゆっくりと和むようなお話をしたり、いつもよりも長い時間をかけてお腹を意識させた呼吸や瞑想を行います。
不安定な心と身体を整え、スタジオ全体が穏やかになるのを待っているからです。
ヨガを始めるにあたり、周囲の環境を整え、心と身体を静かに落ち着かせることは、私にとって、とても大切なことなのです。
しかしながら、穏やかな気持ちでヨガを楽しみたいと思っていても、相変わらず厳しい雰囲気が大きく広がってくることがあります。何かと競い合っているからなのでしょうか?
ヨガの平和な感覚や穏やかさは消えて、その代わりに攻撃性のあるトゲトゲとした空気が蔓延していくのです。
大切な1つ1つのポーズの練習がリラックス出来るものでは無くなり、強さや個性を表現する道具と化していきます。
ご自身を極限まで追い込んでいるような息苦しさ、闘争心、厳しい緊張感、ぎりぎりまで追い詰めることでご自身を苦しめているような違和感を私は感じています。
ただここで、皆様にお聞きしたいのです。ヨガを楽しめないことは、勿体ないことだと思いませんか。皆様それぞれが生きているだけで素晴らしいのに、何故、競い合う必要があるのでしょうか?
皆様は、どうお考えになりますか?
私には、そういった方々が大切な心と身体に無理をさせていることや、ご自身を傷つけながら人と競い合っているように見えるのです。ヨガの本質から離れて、勝敗や優劣のあるスポーツやエクササイズになっているようにも思われます。
私はこの感覚が、アパリグラハなのではないかと思うのです。人と比べたり、もっともっとと闘争心を剥き出しにしながら、ご自身を傷つけているように感じているのです。
ふと、皆様にお話をしながら、気づいたことがあります。
私がよくレッスン中に「他の人と比べる必要はありません」「そのままのご自身で大丈夫です」「ご自身の身体の声を聞いてみてくださいね」と何度も声をかけていたのは、大切なことに気づいて欲しかったからなのでしょう。
私は、ありのままのご自身を大切にして、今ある環境の全てに感謝をしながら、心からヨガを楽しんで欲しいと願っているのです。
アパリグラハの実践と股関節
ヨガを心から楽しむためには、ヨガの教えを学び実践することに加えて、ご自身の身体の構造について学んでいくことも必要なことではないでしょうか。
例えば股関節の扱い方です。股関節とは、鼠経部のところ、足の付け根の関節のことで、ヨガの練習では、この股関節を大きく前後に開いたり、横に開いたりするポーズがたくさんあります。
ただ、この股関節を扱う時、少し気を付けておきたいことがあります。それは、皆様それぞれでお顔の形が違うように、股関節の形もまた少しずつ違うということなのです。
開脚前屈のポーズ
以前、テレビで床に座って大きく足を横に開き前屈する、開脚前屈を紹介していました。その内容は、短時間で足をより大きく広げて前屈を深めることが出来る、画期的な方法だということで取り上げられていました。
確かに、開脚前屈を急速に進めるための方法はいくつかあると思われます。
股関節のまわりや、お尻、腰まわりの筋肉を柔軟に変化させることで、股関節の動きを引き出し開脚前屈を深めることは、治療者としての経験から考えてみてもある程度は可能だと思います。
しかしながら、股関節自体に硬さを感じて広げにくい、前屈をしようとすると足の付け根に詰まり感や違和感を感じるといった場合は、股関節周りの筋肉の硬さが原因では無く、股関節の形そのものが原因かもしれません。
その場合は、注意深く身体を観察することが必要です。筋肉の硬さが原因の場合とは違って、そのような違和感を感じながらも股関節を無理に広げようとすることは、股関節自体を傷めることとなり、怪我をすることに繋がる可能性があるということなのです。
何故なら、人はその成長過程を通して骨格が変化していく時に、それぞれの育った環境、生活様式、座り癖、スポーツをしていたかどうかなどの影響を受けることで、皆それぞれで股関節の形が違ってきますし、その個性を保ったまま、骨を強くして、身体の重さを支えることの出来るしっかりとした関節構造となっていくからなのです。
そして、その個性は決して良い悪いではなく、大切にすべき個性であることを理解することが重要です。
実際ヨガの練習において、開脚前屈をした時、皆それぞれで股関節が開きやすいかったり、開きにくかったり、左右の足で開き具合が違うということに気づく方もおられるかもしれません。
前屈のポーズを上手く進めていけないことで、つい他人と自分を比べて、両足をもっと大きく開きたい、床に身体がべチャっと着けるように前屈してみたいといった思いを抱くこともあるでしょう。
ただこの時、ご自身の身体を傷めることになる場合は、その思いを一旦手放すことを選択して、アパリグラハの教えを大切にして欲しいと願っているのです。
ヴィラバドラアーサナ2(戦士のポーズ2番)
次に、立って股関節を大きく開くポーズの1つ、ヴィラバドラアーサナ2について考えてみましょう。
このポーズは、両足を大きく横に開き、両手は肩の高さに広げます、次に片側のつま先を真横に向けて、その足に踏み込みながら腰を真下に下げていく、踏み込む方向に伸ばした指先を見つめて集中していきます。
股関節を横に大きく開いて深く沈み込むことで、両足の力強さや、骨盤の底から湧き上がるエネルギーと熱を感じる、素晴らしいポーズです。
内股の場合
このヴィラバドラアーサナ2のポーズで必要な動きは、両足を横に大きく開いて、出来るだけ太ももを外に回して股関節を開くということです。そうすると内ももの筋肉が伸ばされ、骨盤底の筋肉にもしっかりと刺激が入り、体幹や両足が強化されていくのです。
しかしながら内股が強い方の場合、太ももを外側に回して股関節を大きく外に開くこと、その状態から力強く踏み込むということは、とても難しく感じるかもしれません。
もし、そういった方がご自身の身体の特徴を理解することなく、多少痛くても頑張れば出来るかもしれないと思っていたとしたなら、身体に無理をさせて股関節を痛めるといったことも考えられます。
実は、私も股関節の形に左右差があることを知っていますし、その事実を知った上で自分を傷つけたり、怪我をするようなことは選択しないと心に誓っています。
目指すこと
皆様がこれからヨガインストラクターとして活動していく際には、このようなお客様と出会うかもしれませんね。そんな時は、まずその方の思いや願いを尊重してあげてください。
そしてその上で少しずつその方の理解が得られるように、身体の構造や、その扱い方についても伝えてあげてほしいと思うのです。
このように、ヨガインストラクターを目指す皆様は、ヨガの教えや哲学、身体の構造や機能を学んで、多くの方々に安心してヨガを楽しんで頂けるよう関わっていくことが、とても大切なことだと思います。
そして、その明るい学びを持って、ヨガはもっと自由で、もっと幸せで、もっと素晴らしい世界であることを、1人でも多くの方々に伝えていきましょうね。
アパリグラハ、貪りを手放し、今あるご自身を心から愛すること。
幸せを願って。