皆様、こんにちは。kouです。いかがお過ごしでしょうか?
最近は私の一方的なお話ばかりではなく、皆様のお話もお聞きしたいと思うようになってきました。いつも、こうしてここでお会いしてお話をしているような感覚になっているからでしょうか。
さて今回は、ヤマ(禁戒)、ヨガの教えにおける日常的にやってはいけないこと、その教えの中の1つアヒンサー(非暴力)を取り上げたいと思います。
アヒンサーとは、暴力を振るわない、暴言を吐かない、また殺生をしないという意味もあります。
今回、そのアヒンサーを実践していくこと、その際の言葉の力についてお話させて頂きます。
自由意志があるからこそ
私たちには自由意志があって、迷った時はどちらが今の自分自身に合っているのかを考え、自由に物事を選んでいるようなのです。そしてその選択は、時には自分自身を苦しめる選択だったり、幸せをもたらしてくれる選択の場合もあります。
皆様はご自身を不幸にする選択と幸せになる選択、どちらを選びますか?きっと幸せになる方を選びたいですよね。
そのためには、ご自身にとってより良い選択をするための方法や考え方を学んでいく必要があります。今回、幸せを感じて生きていくための行動や言葉の力について考えてみましょう。
ライターの経験から
最近私は、自分自身が大きく変わったことを自覚しています。
私は、これまで理学療法士やヨガインストラクターとして活動してきましたが、最近になって、こうしてご縁を頂きライター活動を行うようになりました。
このライター活動によって、言葉の大切さ、伝えることの嬉しさを経験しながら、私自身が急激に成長しているように感じているのです。私の言葉を受け取って下さる皆様のおかげです、本当にありがとうございます。
例えば人に言葉を伝えるとき、相手の方がどんなお話を聞きたいのか、今どんな状況でどんな気持ちでいるのか、また苦しんでおられる場合はどのような言葉を届けたら少しでも楽になって救われるような気持ちになってもらえるのだろうか、そんなことを私なりにですが、いつも考えるようになりました。
そして言葉には大きな力があります。
言葉によって安心感や幸せを感じてもらえたりすることもあれば、人を傷つけて辛い思いをさせてしまうこともあります。私は、優しく思いやりのある言葉は、滑らかな絹のようだと思っています。
絹の糸を紡ぐように言葉を丁寧に届けていく、優しい心を載せて絹の滑らかさ、心地良さを感じて頂けるような言葉を伝えていきたいといつも思っています。
優しい言葉で繋がっていく
明らかな変化は起きていました。
最近、理学療法士としてお仕事をしている時、外来通院して下さる患者様のほうから「変やけど、最近、病院なのに来るのが楽しい」「先生と一緒にいると楽しいから、時間の過ぎるのが早いなぁ」「私、誰に何と言われても先生に会いに来ます」など、好意的な嬉しくなるような言葉を言って頂くことや、治療に前向きになって下さっている方が明らかに増えてきました。
セラピストとしてもヨガの教えを実践しようとしている私にとっては、その全てが嬉しく私の中の宝物となっています。
また、ヨガインストラクターとしてオンラインヨガクラスをさせて頂く時も、呼吸や言葉を大切にすることを心掛けています。
画面で通じていても実際には遠く離れていることから、出来るだけお客様の立場に立って、ゆっくりと短くわかりやすい言葉で、響かせるように丁寧に声をかけていきます。
お客様のポーズを見ながら今必要な言葉を、焦らせないよう、緊張しないよう優しい気持ちで届けていきます。
そうしてお客様がリラックスしてヨガを楽しんで下さるようになると、そこにはとても温かで穏やかな空気が生まれるのです。
このように、より良いヨガクラスを作り出していくためには、インストラクターがいつも安定した呼吸をしていること、安心感や幸せを感じられる言葉を響かせていくことがとても大切なことだと思っています。
皆様は、ヨガが好きでヨガととも生きていくことを目指しておられる、私にとってはヨガを心から愛する大切な仲間の皆様なのです。
その皆様に幸せを感じて頂けるような言葉を届けていきたい、そんな思いを持ってライターとして活動してきたことで、改めて言葉の大切さを知ることが出来ましたし、伝えた言葉を丁寧に受け取って下さる温かさによっても、私は幸せだと感じるのだと思います。
人の温かさを伝えあえる、そんな言葉はとても大切なものですね。
相反すること
一方、ある人の心無い言葉で傷ついたり、発したその1言で周りの環境、人や物が、急激に凍り付いてしまうような雰囲気になってしまうこと、皆様はこれまでにそういった経験をされたことはありませんでしたか?
人は他人と関わりながら生きています。そのため時々、明らかに自分と波長や考えの合わない方と出会うこともありますし、そういった方との関わりでは、ちょっとした摩擦も起きやすいと思います。
私は最近、そんな不調和が起きた時、そういった方とどう関わるのか、どんな言葉を発してどのような雰囲気を作り出していくのか、私自身の力量を試されているようにも思うのです。
実際には、穏やかな自分自身を保ってどんなことを言われても顔に出さず、冷静に対処することはとても難しいことのように感じています。
攻撃的な言葉
先にお話させて頂いたように、私にはこれまで心が温かくなるような言葉をかけてもらえる経験もあれば、その逆のこともありました。
例えば数年前、理学療法士としてお世話になっていた職場でこんなことがありました。
お仕事をしていた時、急に刺すようなお腹の痛みがあって、患者様の途切れた瞬間トイレに真っすぐに向かいました。落ち着いて戻った時のこと、ある職員の方が凄い形相でやってきて次の瞬間、突然私にこう強い言葉を向けてきたのです。
「何をしていたんですか?どこでさぼっていたんですか?」と。
その当時、私はその職場にまだ慣れていなかったこともありますが、いきなり疑いや怒りの感情をそのまま吐き出すように発言されたこと、一方的に言われたことが、私にとってはとても辛くて悔しい出来事だったのです。
そこでその当時の私は、職員が大勢いる場所だったのにも関わらず、「私は、お腹が痛くてトイレに行ってました」と、感情的になっていることがはっきりとわかる位、大きな声でそこにいる全員に聞こえるように言ったのです。
その当時、ヨガインストラクターとして活動し始めた頃で、決してヨガ的ではなく、もの凄く人間臭かったと思います。
それは言われて嫌だったから言い返した、怒鳴られたから叫んだという全く考えの無い、感情に流されるままの無知な行動であり、私はまだまだ学ばなければなりませんでした。
幸せな選択
あれから数年経ちましたが、現在も尖った強い言葉を発言されることがあります。
しかしながら今の私は、あの頃の私ではありません。自分の心をコントロールする力を少しずつですが、持つことが出来るようになってきました。
また、そういった他人に強く攻撃的な発言をする方は、常にストレスや大きな不安を抱えていること、そのマイナス的な感情によって、暴言を吐いているご自身が一番苦しんでいるということに気づきました。
数年間ヨガの教えを日々実践していくことで、私自身も非常に愚かだったことを理解しましたし、感情をコントロール出来ていなかったことも知りました。
だから私は、そのような不調和に出来るだけ関わらず、自分の大切な心と身体を傷つけることなく、今ある幸せを感じて平和に生きていくと決めているのです。
そのため、強くて尖った言葉の暴力が自分に向いて来た時には、出来るだけ自分の心を静かに保ちながら必要な言葉だけを残し、すぐにその場から離れるようにしています。
何故なら、今の私は調和的であり、愛のある行動や言葉をいつも選択すると決めていますし、明るく綺麗な光を放つようにして生きていきたいからです。
このように人は皆、どういった行動を選択するかは自由なのです。
いつも、私たちは、幸せになる道を選ぶのか、不幸になる道を選ぶのかを自分で決めているのです。智慧を持ち、幸せになる道を選びましょう。
ヨガの教えから
ここで、ヨガの教えから考えてみたいと思います。
ヨガの道を歩いていくためにやってはいけないこととされているヤマ(禁戒)の教えの中で、アヒンサーという言葉があります。
この言葉の意味は、暴力を振るわないという意味があって、日々の生活の中で、自分自身を傷つけることも含めて、他人や動物、自然に対しても決して暴力を振るってはいけないということを示しています。
このアヒンサーの言葉の意味を踏まえて考えてみても、先程の職場での出来事、私に向けられた攻撃性のある言葉や私が相手に言い返した感情的な言葉は、互いに相手を傷つけようとする言葉の暴力であり、つまり、決してやってはいけないことなのです。
ヨガインストラクター養成スクールのヨガ哲学の先生が、以前このアヒンサーに関して「3年間、この教えを守った者の周囲には争いごとが無くなり平和になります、やってみなさい」と私に伝えて下さったことがありました。
その後私は、失敗する度に先生のこの言葉を思い出し、日々実践し続けてきました。
その結果、本当に争いごとが減って、今は、たくさんの愛情や幸せを感じられるようになったことを実感しています。
また以前よりも明るく穏やかに生きられるようにもなりました。いつか、ヨガ哲学の先生に再会した時、このことをお伝えしたいと思っています。
また、仏教の教えの中にも法施(ほうせ)という言葉があります。
この言葉の元々の意味は、お経を唱え人の心を楽にしたり精神的に支えるという意味があるそうですが、日常的にも、その法施の実践が出来るということなのです。
例えば、いつも明るく振舞って周囲の雰囲気を和やかにすることや、さわやかに挨拶の言葉をかけることも法施となるそうです。
そういった愛のある行動を選択し、優しい心を丁寧に配るようにして言葉を届けることは、ヨガのアヒンサーや仏教の法施の教えに繋がっていきますよね。
ヨガとともに生きていく私たちは、より愛のある言葉を響かせて、周りの人たちを和ませるような行動を積み重ねていきたいものです。
幸せな道を選択すること
このように私たちは、温かな言葉で人を幸せにすることも、強く攻撃的な言葉で人を傷つけることも、自分の意志で自由に選択が出来るということなのです。
日々ヨガの教えを実践し、より良く生きていくための智慧を持ち、愛があって幸せを感じられる言葉や行動を選び続けていく力を付けていきましょう。
また、もし時に皆さんがその選択を誤ったとしても、ヨガの教えを学び、実践をしてきた経験があるのなら、きっと自分自身の不適切な行動や言葉に気づき、修正することが出来ると私は信じています。
また、その苦い経験についても、私のように今後の人生においてより良く生きていくための貴重な智慧になると思います。一緒に、平和で明るい未来を目指していきましょうね。
幸せを願って。