皆様初めまして、Kouです。
今回から、ヨガインストラクターを目指す皆様に私が今ヨガとともに生きていること、これまで歩んできたヨガの道のりについてお話をさせて頂くこととなりました。
どうぞ、よろしくお願い致します。
ヨガインストラクターになるまでの経緯
今回、私が何故ヨガインストラクターになったのか?どのような経緯でヨガととも生きていくことになったのかについて、お話をさせて頂きます。
皆様の日々の生活や思いも巡らせながら、このお話を読んで頂けると幸いです。
今振り返ってみると、様々な偶然が重なっていたようにも思います。そして私は、きっとヨガの神様にご縁を頂いて、これまでヨガととも生きていく道を歩かせて頂いてきたのではないかと思っています。
理学療法士としての日々
今も不思議に思うことがあります。
ヨガインストラクターになるまでの私は、理学療法士として毎日リハビリの現場で手術後のリハビリテーション、痛みのために通院される患者様など、様々な症状をお持ちの方々に寄り添いながら治療を行ってきました。
そんな活動の中で、手術後、経過があまり思わしくないことがあったり、症状の再発や同じような怪我を繰り返したために苦しんでおられたこと、そのようなお姿を拝見し、いつしか私は患者様のお身体にメスを入れて、痛い思いをさせたり傷をつけられることがとても嫌だと思うようになりました。
そういった思いから、患者様が手術をしなくてもいいように、体調を大きく崩す前に気づいてもらうにはどうしたらいいか、生活習慣や身体の使い方を未然に修正して、快適に暮らしてほしいという願いが私の中で生まれていきました。
その頃から、病気を未然に防ぐための予防医学、東洋医学、古代医学に興味を持ち、少しずつそういった文献を見るようになっていきました。
そんなある時、私自身も身体を壊してしまうような出来事がありました。
自律神経障害、心の病気です。
皆様も一度は経験されたことがあるのではないでしょうか?
人と人との関係で悩んだり、苦しんだりしたことはありませんでしたか?私の場合は、その当時の職場での人間関係が主な原因でした。集団でのいじめや、妬み、悪口、パワハラ、全てネガティブなエネルギーです。
私は、そういったものを感じながらも、その力に負けずに目の前の患者さんにベストを尽くすことで、そのネガティブエネルギーを跳ね返そうとしていました。
その頃の私は、理学療法士という職人の立場で、日々研鑽し、いかに患者様の身体の機能を回復させるかを考え、患者様とともに1つずつ課題を乗り越え、希望を見い出し喜んでもらいたい、そういった思いを抱きながら活動していました。
もちろんそういった活動を近くで見ている方々の中には、面白くないと思う方や、生意気だと思う方もいたことでしょう。この時、職人としての理学療法士のお仕事の難しさを感じて、人間関係に深く悩みながらもこの厳しさを自分の糧として乗り越えたいと思っていました。
しかしながら、そうした長く続くネガティブエネルギーの溢れる不健康な環境のためか、私の心と身体は少しずつ蝕まれていきました。
まず、頭髪が抜けたり、全身が浮腫んで太ってしまったり、イライラと不安、恐怖といった様々な感情が混在して精神的に不安定な状態となり、最終的には職場に行けなくなりました。
理学療法士という職業を正社員として勤務していたことで、病院というピラミッド構造の中の争いや摩擦が生じていたこと、プライベートでは息子がまだ小学生で子育てが必要な時期であり、自分自身に余裕がなかったことも原因の1つだったのではないかと思われます。
母親としての子育て、理学療法士としての正社員、主婦としての家事をこなし毎日の生活を保つこと、いつも余裕がなく時間に追われて、自分が今どんな状況なのかも実際には理解出来ていなかったのかもしれません。
結局、そのような状況に耐えられなくなった私はとても勇気が必要なことでしたが、大好きだった理学療法士を一旦辞めて、長く居た病院という白い箱の外に出ることを決めました。
最終的には、ドクターストップという形で避難したように思います。
その当時からの友人が、私の異常な様子を見て精神科に連れて行ってくれたことで、私は苦しかった環境から抜け出すことが出来たのです。
そうして私は、これまで自分の中で大切に育み守ってきたものを手放すこととなりました。
仕事を辞めたあと
お仕事を辞めて最初の頃は、昼夜逆転、不眠症などの症状のために、私は朝起きることがとても大変でした。
毎朝、何とか息子のお世話をして学校に送り出し、帰ってくる夕方まで寝る、そのサイクルを毎日繰り返していました。
始めはそういった日々でしたが、そのうち小学校の夏休みとなってしまい寝ているわけにもいかなくなり、次第に息子と外に出かけることになったのです。
後になって、この年の夏休みが私にとって温かさ、安らぎを与えてくれた息子との幸せな宝物の時間となりました。
大きなものを手放したことで、もっと大切で尊いものに気づくことが出来たのです。
精神科に通院しながらでしたが、息子に励まされ、外に出て自然に触れる機会が増えていきました。
気力や体力が落ちていましたが、息子を楽しませたい、夏休みを少しでも楽しい思い出を作ってあげたいという気持ちが、私の身体を少しずつ動かしてくれたように思います。
私は、息子と毎日海へ釣りに行きました。
釣り竿を持って波止に立っていることで、太陽の光、潮風、海からの生命力を頂きながら、全身の筋力や体力、気力が戻ってきたこと、小さな魚を釣って楽しく子どものように遊んだこと、息子と自然に触れあいながら過ごしていくことで、少しずつ自分を取り戻し、これからの生き方を考えることが出来るようになったのです。
そして、奇跡のような瞬間は突然やってきました。
ヨガとの出会い
夜、ふとパソコンを開いてインターネットに繋ぐと、RYT200ヨガインストラクター取得スクール、来月開講!!そんな広告が突然目に入りました。
その頃の私はヨガにあまり興味がなく、どちらかというとヨガは身体の柔らかい方がするもの、美容に興味のある方がするものだといった偏見を持っていました。
そのため、普段なら一度目に止まっても通りすぎるような広告でしたが、実はたまたま目に留まったこのヨガスクールは、ヨガのポーズを練習するだけではなく、私が以前から興味を持っていたヨガ哲学、古代医学アーユルヴェーダ(インドに古くからある伝統医学で、生命の科学とも呼ばれています)を教えると書いてあったのです。
私の心はキラキラと輝き出しました。以前から学びたかった哲学や古代医学を学ぶことが出来る期待で心が一杯になり、ワクワクしてきたのを今も覚えています。
後日、このスクールの説明会で出会った先生に、(その後、ヨガについて教えを頂くことになった恩師の先生です)これまでの私の生活、ヨガ哲学、古代医学への思いをお伝えしたところ、先生が一言、「ヨガに呼ばれていますね。」そう言ってくださいました。
普段ならこういう言葉は、人を集めるために誰にでも話しているのだろうと単に思いがちですが、この時の先生からの言葉は、私にとってとても神秘的に感じられました。
そして、自然に川が穏やかに流れていくように、私はそのヨガスクールに通うことになったのです。全てがとても自然で穏やかな流れであり、その流れにのるとともに、私の自由と幸せを探すヨガの旅が始まりました。
息子との長い夏休みを終えて、私はまた自分の足で歩き出しました。今度は、お弁当や着替え、テキストを入れた大きなリュックサックとヨガマットを背負って。
ヨガスクールは多くの人々との出会い、学び、喜び、楽しみ、たくさんの教えと幸せが溢れる、輝く自由な世界でした。
この続きは、また次の機会でお話をさせてくださいね。
皆様もきっと、ヨガの神様が導いてくださいます。
幸せを願って。
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