ヨガの哲学 八支則とは?
ヨガの学びを深めていくと「八支則(はっしそく)」という言葉を耳にしたことはありませんか?
これは聖者パタンジャリによってまとめられた『ヨーガ・スートラ』に記された、ヨガの最終的な目標である「悟り」へと向かうための8つのステップのこと。
けれどそれは、決してヨガの修行をする人だけのものではありません。
「自分を大切にしながら、愛をもってこの世界で生きていくための知恵」として、今を生きる私たちの暮らしにもそっと寄り添ってくれるものなのです。
八支則についてもっと詳しく知りたい方はこちらから
>>ヨガ八支則(はっしそく)とは?なぜヤマニヤマの教えは大事なのか
八支則の土台 ヤマ・ニヤマとは?
八支則の最初のふたつ「ヤマ」と「ニヤマ」は、ポーズや瞑想といったヨガの実践を“深める前に”大切にしておきたい教えです。
• ニヤマ:すすんで実践したいこと(心を調えるための習慣)
この10個の教えは、私たちがありのままの自分を大切にしながら調和して生きるための“土台”のようなもの。
私自身、「ヨガは、生き方そのものをやさしく整えてくれるものなんだ」と深く感じたのは、ヤマ・ニヤマの教えに出会ったときでした。
今回は、ニヤマの最後の教えである「イーシュワラプラニダーナ(信仰・自在神祈念)」について、私の経験と言葉を通して心を込めてお届けしていきます。
イーシュワラプラニダーナ(信仰・自在神祈念)とは?
「イーシュワラプラニダーナ(Īśvarapraṇidhāna)」はサンスクリット語で、
「 Īśvara(神、至高の存在)」
「 praṇidhāna(委ねる、信じて捧げる)」
を意味します。
直訳すると「神に委ねること」ですが、ここでいう神は、必ずしも宗教的な存在を指すわけではないと思っています。私にとってイーシュワラとは、「自分の中に宿る、神様のような存在」と捉えています。
だからこそイーシュワラプラニダーナとは、まずは自分自身を信じ、自分のした選択に信頼をおくことから始まります。
そして、自分ではコントロールできない出来事さえも、「今の自分に必要だから起こっている」のだと、すべてを信じ委ねられる寛容さを持つことだと思っています。
ではここからは、私が日常の中で感じた“イーシュワラプラニダーナあるある”を3つご紹介します。
前回の記事では、ニヤマの教えである「スワディヤーヤ」を私なりの感性でお伝えしました。
前回の記事はこちらから読めます!
>>0から分かるヨガ哲学【八支則⑧】タパスは“そのままの自分”を信じる勇気をもつこと
日常でのイーシュワラプラニダーナあるある
コントロールできないことを握りしめて苦しくなってしまう
「こうしなきゃ」「こうあるべき」「こうなってほしい」
そんな気持ちでいっぱいになると、心はとても窮屈になってしまいますよね。
でも、この世界には、自分の力ではどうにもならないことって案外たくさんあります。
どんなに努力しても、綿密に計画を立てても、思い通りにならないこともある。
そんなときに思い出したいのが、イーシュワラプラニダーナの教えです。
「私にできること、やれることはやった。あとはもうなるようになるさ。」
そう自分に伝えてみると、不思議と肩の力がふっと抜けて、呼吸が深まる気がしませんか?
コントロールしようとして固く握りしめて手放せなかったものを、少しだけ手放せたときに、はじめて見える景色があるのかもしれません。
「委ねる=諦める」ではないと気づく
以前の私は、「委ねる」とは「すべてを諦めること」なんじゃないかと、少しだけ言葉の響きにネガティブなイメージを持っていました。
「委ねること」や「諦めること」を「何もできない状態をただ我慢して受け入れなければならないこと」だと勘違いしていたからです。
ですが、「諦めること」とは、すべての可能性を投げ出して捨ててしまうことではなく、今の自分の状況を正面から見つめたうえで、より良い選択をするための決断をすること。
だからこそ、「委ねること」は、“無条件で信頼できる芯のある強さとやさしさ”。
たとえ自分がその場で何もできない状況であっても、「それが今は最善」だと信じる心をまっすぐにもつことなのではないでしょうか?
自分を信じることが、すべてを信じることにつながる
神様=自分。
そう思ってみると、自分を信頼することは、同時に自分以外の他者や世界、自分以外のすべてのことを信じることにもつながります。
自分を否定し続ければ、周りの出来事や人に対しても常に疑いの目を向けてしまう。
それって、すごく苦しくて、切なくて、自分としての人生を生きることが怖くなってしまいませんか?
でも、自分を深く知り、気づき、受け止め、自分で肯定できるようになると、どんな自分も自分だと信じられるようになり、そして不思議と自分の生きる世界も信じられるようになるのです。
イーシュワラプラニダーナの教えを心の片隅にもつことで、たとえ予期せぬ出来事が起こったとしても、「きっとこれも今の自分に必要な学びになるんだ」と受け止められる、しなやかな心が育っていくのではないでしょうか?
イーシュワラプラニダーナの教えを日常に活かすための自己対話の問い
私自身が日々のなかで「自分を信じ、委ねる心」を思い出したいときに、よく使う問いをご紹介します。
今の心の状態や感覚にやさしく気づくための、内なる自分探しの旅への入り口に、ぜひ使ってみてもらえたらうれしいです。
- 今の私がすべてを信頼して委ねられるとしたら、何を手放したい?
- これまでの人生で、「信じて委ねたからこそ」叶ったことは何だった?
- 今、私が手放せないでいるものは何? それを手放したら、どんな景色が見える?
- 最近、「起こってよかった」と思えた出来事はある? そこから何を学んだ?
- 私にとって「祈ること」とは?
- 「自分にできること(変えられること)」と「委ねること(変えられないこと)」を分けて考えてみたら、どう感じる?
まとめ
いかがでしたでしょうか?
ヤマ・ニヤマの最後の教えであるイーシュワラプラニダーナ。
それは、“委ねること”を通して、自分と世界を信じる心を育むこと。
「すべては必然で、すべては最善」
そう自分に対して心から信じられた瞬間から、どんな出来事も自分を成長させる糧になるはず。
どうにもならないことに対して、「抗う」のではなく、祈りながら「安心して待つ」こと。
それが、私にとってイーシュワラプラニダーナを活かした“生き方そのもの”です。
このコラムを読んでくださったあなたが、もし今、何かに不安を感じていたら。
「大丈夫。きっと必要なことが、最善なタイミングで必ず訪れる。」
そう自分に対して、自分の心にそっとあたたかな言葉を届けてあげられますように。
さいごに
これで、ヤマ・ニヤマの10個の教えについてのコラムは完結となります。
私の毎月の長文ラブレターを読んでくださったみなさま、心からありがとうございます。
みなさまに改めてお伝えしたいのは、
私にとってのヤマ・ニヤマとは、「ありのままでそのままの、本来の自分を大切にして生きること」
ぜひ、あなたにとってのヤマ・ニヤマとは何か?を考えるきっかけになっていたら幸いです。
自分を深く知ることで自己信頼へと繋がり、どんな自分も受け入れられる心の余裕をもてるようになるからこそ、他者のことも理解し、受けいれることができる。
そのままの自分と世界が調和する生き方を教えてくれるヤマ・ニヤマ。
これらの尊い教えが、あなたやあなたにとっての大切な方の毎日をしなやかに、そしてあたたかく支えてくれる道しるべとなることを心から願って。
愛と感謝を込めて
Haruka
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