ヨガの哲学 八支則とは?
ヨガを学んでいると「八支則(はっしそく)」という言葉をよく耳にすることはありませんか?
これはヨガの最終的な目標である「悟り」へと向かうための8つのステップのこと。
八支則の教えは、聖者パタンジャリが編纂した『ヨーガ・スートラ』に記されており、現代を生きる私たちにとって大切な「自分らしく、より善く生きるための知恵」がたくさん詰まっています。
八支則についてもっと詳しく知りたい方はこちらから
>>ヨガ八支則(はっしそく)とは?なぜヤマニヤマの教えは大事なのか
八支則の土台 ヤマ・ニヤマとは?
八支則のうち、第一段階と第二段階にあたるのが「ヤマ・ニヤマ」です。
そのなかでヤマとは、「日常生活で行うべきではないこと」という5つの教えであり、ニヤマとは、ヤマとは逆に「日常生活ですすんで実践すべきこと」という5つの教えで、合わせて10個の教えから成り立っています。
私は初めてこの教えにふれたとき、「ヨガはただポーズをとるだけのものではなく、暮らしそのものを整える学びなんだ。」深く腑に落ちたのを覚えています。
実は、ヤマ・ニヤマとは本来、ポーズを取ったり瞑想を行ったりする前に得ておくべき、シンプルでとても大切な心得。
つまり、それは「本来の自分を大切にしながら生きるためのやさしい指針」なのです。
今回はニヤマの2つ目の教えである「サントーシャ」について私なりの視点でお伝えしていきます。ぜひあなたの心に、そっと響くものがありますように。
サントーシャ(知足)とは?
サントーシャとは、サンスクリット語で「足るを知る」という意味。
けれど私は、この教えの本質は単に「今あるものに満足すること」だけではなく、「“今ここ”にある自由と豊かさに気づき、受け取れる自分であること」だと思っています。
前回の記事では、ニヤマ1つ目の教え「シャウチャ」を私なりの感性でお伝えしました。
前回の記事はこちらから読めます!
>>0から分かるヨガ哲学【八支則⑥】シャウチャ―わたしをやさしく、清らかに整える
ヨーガ・スートラの第2章42節にはこんな言葉があります。
「知足によって、無上の喜びが得られる。」
この「無上の喜び」とは、外側の条件が整ったときに得られる一時的な幸せではなく、むしろ、「当たり前」に目を向けられたときに感じる、心から湧き上がるようなうれしさのことだと私は感じました。
サントーシャの教えは、「何かを足して満たされた気持ちを得る」という足し算の発想ではなく、「本当はもうすでにいろんなことから自由で、満たされている」という引き算から得られる気づきなのではないでしょうか?
ではここからは、私自身が感じた「サントーシャあるある」を3つご紹介していきます。
日常でのサントーシャあるある
「もっと“何か”があれば、私は幸せになれるのに」と感じるとき
「もっとお金があれば、もっと成功していれば、もっと愛されていれば…」
私たちはついつい、「“まだ”自分に足りていないと感じるもの」に目を向けがちです。
私もかつて、自分に無いものを持っている人を見ると、「羨ましいな、素敵だな、それに比べて私は…」と自分を卑下してしまうことがよくありました。
でもある日、担当したヨガクラスで生徒さんから「はるか先生のそのままの言葉に救われました」と言われたとき、自分の“当たり前”が誰かの役に立っていることに初めて気づいたんです。
例えば、
• あたたかな日差しや、好きな香りに包まれるひとときから感じる安心感
• 好きな音楽や趣味に浸れる贅沢な時間から得る心地よさ
• 何気なくもらった嬉しい言葉で満たされる心
これらは、何も“新たに得る”必要のない豊かさ。
「何かを足して得られる幸せ」ではなく、「そのままの自分で見つけられる幸せ」に、これからは目を向けてみませんか?
未来に対する不安に心が奪われてしまうとき
「これから先、私はどうなってしまうのだろう?」
そんな未来への不安が頭によぎるとき、私たちの心は「今ここ」から離れていってしまいます。
私も、自分に合った仕事が分からず生きることに対して不安ばかりで苦しんでいた頃、いつも見えない未来にばかり目が向いていました。
でも、ヨガに出会ってから「不安に感じる自分もそのままでいていいんだ」と、生まれて初めて自分で不完全な自分もそのまま抱きしめられるようになったことで、少しずつ心が穏やかになれたのです。
例えば、
• 目を閉じて深呼吸し、自分の身体や心の声に耳を傾けるヨガの時間をもつ
• ぼんやり空を眺めて、今日の空の色をただ感じてみる
• 手のひらを胸に当てて、「今ここにいる」自分の素直な気持ちを知ろうとしてみる
今、あなたの目の前にある「何気ない日常の中にある確かなもの」に目を向けることで、未来への不安が少しずつ溶けていき、「今ここ」にある自由や安らぎに気づけるのではないでしょうか?
つい過去の失敗や自分の欠点にばかり目が向いてしまうとき
ふとした瞬間に、「あのとき、ああしていれば…」と過去の出来事を何度も悔やんでは、自分を責め続けてしまうことはありませんか?
私も、もっと体力があれば、もっとみんなのように頑張れたら、仕事を続けられたかもしれないという後悔をヨガと出会うまでずっと抱えていました。
けれど、その痛みや苦しみを伴う尊い経験があったからこそ、私の心にはヨガ哲学の教えが響いたし、「誰かと比べて無理をしないで、自分を大切にすること」の重要性を心から理解できるようになったのです。
例えば:
• 失敗を繰り返したからこそ見える「今」の景色がある
• 挫折したことを受け止められるからこそ、他人の痛みに寄り添えるようになる
• 過去の選択があったからこそ、今の「私」がいる
どんな過去の経験や過ちも、「今」の自分を形づくる大切なピースだと許し、受け止めてみることで、私たちはどんな自分の選択に対してもありがたみを持てる、深い心の器を育めるようになれるのかもしれません。
サントーシャの教えを日常に活かす方法
私がよく行っている、サントーシャのための小さな習慣をご紹介します。
• 朝起きたら、「今自分が持っているもの」を3つ思い浮かべて、心の中で感謝してみる
• 心がざわついたときこそ、「今ここにある“豊かさ”」を見つけてみる
• 寝る前に、今日あった「自分にとって“よかったこと”」を1つだけ思い出す
サントーシャの実践は、どれも決して特別なことではありません。
「足りないもの探しをすること」ではなく、「すでにあるものに気づき、自らの手で小さな愛や幸せを受け取りにいくこと」。
小さな実践のつみ重ねから、少しずつ私たちの心にすでにある、「あたたかな豊かさの感覚」を根づかせてくれるのではないでしょうか?
まとめ
いかがでしたでしょうか?
ヤマ・ニヤマの7つ目の教えであるサントーシャ。
「サントーシャ」とは、「足りないものを埋めて満足するための教え」ではなく、「自分自身の中にすでにある豊かさと自由、そして愛に気づくこと」。
自分を責めることなく、誰かと比べることなく、ただ「私」という存在に愛をもってやさしく寄り添い、そのままであることを自らが許してあげることなのだと私は思っています。
どうか今日も、このコラムを読んでくださったあなたが、ふとした瞬間に自分の中にある豊かさを再発見できる一日でありますように。
そして感じた小さな気づきから、あなた自身に対する優しさや、誰かへの愛へとつながり、やさしく包み込むようなあたたかな世界が広がっていきますように。
6ヶ月で哲学の教えを「生きる知恵」に。暮らしに落とし込んで習慣化していきます。
「自分の人生に活かす学び」「日常に根づいた生きる知恵」にすることで
一緒に「自由に軽やかに、しなやかに生きる力」を育んでいきませんか?
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