ヨガの哲学 八支則とは?
ヨガをしていたり、学んでいたりすると「八支則」という言葉をよく耳にしませんか?
これはヨガの最終的な目標である「悟り」へ向かうためのヨガの基本となる8つのステップのことです。
具体的には、物事に対する考え方や捉え方、ヨガのポーズや呼吸法、瞑想などの在り方が記されています。
この八支則の教えは、忙しない社会で日々を懸命に生きる私たちにとって、とても大切な生き方の指針となるもの。
そしてヨガの哲学や八支則の教えは、日々の暮らしや自分自身の人生をより豊かにしてくれる素晴らしい知恵がぎゅぎゅっとたくさん詰まっています。
>>ヨガ八支則(はっしそく)とは?なぜヤマニヤマの教えは大事なのか
八支則の土台 ヤマ・ニヤマとは?
そんなヨガの基本の教えである八支則のうち、第一段階と第二段階にあたるのが「ヤマ・ニヤマ」です。
そのなかでヤマとは、「日常生活で行うべきではないこと」という5つの教えであり、ニヤマとは、ヤマとは逆の「日常生活ですすんで実践すべきこと」という5つの教えで、計10個の教えから成り立っています。
「ヨガってマットの上でポーズを取るだけのものじゃないの?」とヨガ講師の資格を取る前に思っていた私は、この教えを知ったとき、とても衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。
「ヨガ」という言葉から、みなさんはどんなものを想像しますか?
ヨガのポーズを美しく取る人や、あぐらの姿勢で静かに目を閉じて瞑想する人を連想する方が多いのではないでしょうか。
実は、ヤマ・ニヤマとは本来、アーサナ(ポーズ)を取ったり呼吸法や瞑想を行ったりする前に得ておくべきもの。
つまり、日常生活におけるシンプルでとても大切な心得のことなのです。
ヤマとニヤマには、自分らしく豊かな人生を送るための生き方のヒントがたくさん詰まっています。
だからこそ、ヤマとニヤマの教えを実践していくことは、自分らしく生きるための土台となっていく、非常に大切な基盤となるのです。
それでは、ここからはヤマの教えについてひとつひとつ詳しくみていきましょう。
今回は、ヤマ四つ目の教えである「ブラフマチャリヤ」について私の考えをシェアしていくので、ぜひあなたらしく、ブラフマチャリヤを捉えてみてくださいね。
ブラフマチャリヤ(禁欲・不過度)とは?
「自分や相手、環境のもつすべてのものに対して、自分の体力や感情や時間を正しい方向性で大切に使うこと。」という教えです。
前回の記事ではヤマの教えの三つ目、「アスティヤ」を私なりの捉え方でお伝えしました。
>>0から分かるヨガ哲学【八支則③】アスティヤで愛の循環に気づく
ヨガの経典、ヨーガスートラの第2章38節にはこう記されています
「ブラフマチャリヤに徹するものは、精力を得る。」と。
ブラフマチャリヤとは、禁欲することでエネルギーの浪費をしないようにという教えだと一般的には言われています。
ですが私は、ブラフマチャリヤの教えに対して、生きるための必要な欲を「0にしましょう・抑えましょう」ということではなくて、自分自身の持つ大切な体力や感情、時間を大切に扱うこと。
そうすることで、生きるうえで必要なカロリーを無駄に消費しすぎずに、自分らしく幸せに生きることができるのではないかな?と捉えてみました。
・なにごとも「やり過ぎない」=異性との不純な関係を持たない、お腹がはちきれそうになるまで食べ過ぎない、過度に寝すぎない
・お酒やタバコ、ギャンブルなどの中毒にならない
・勉強に集中するために、勉強以外のことで時間を浪費しない(ゲームやSNSなど)
などが挙げられますが、次の章からは、私の思う「ブラフマチャリヤあるある」を3つ、ご紹介していきます。
日常でのブラフマチャリヤあるある
1.自分の「本当はやりたい」ことよりも、周りから求められる「やったほうがいい」と思うことを優先してしまう
日々、自分よりもまわりの顔色を伺って生きていることが多いであろう私のコラムの読者さんたちにとって、これはあるあるじゃないでしょうか?
「本当はやりたくないけれど、やらなきゃいけない…」
生きていると、こう思うことって多々あると思います。(仕事であったり、苦手なことであったり)
ですが、「周りが求めていそうだから」と先回りしすぎてしまうことは、もしかしたら相手の「実は自分がやりたかった」というエネルギーの注ぎ先を奪い、そして自分の有限なエネルギーを本来注ぎたいところで注げなくなるかもしれないリスクも生まれそうですよね。
だからこそ、「やりたいこと」と「やったほうがいいこと」はある程度イコールで結ばれていた方が、自分の心と身体が疲弊せず、エネルギーの無駄使いを防げると思いませんか?
ひと呼吸おいて、これは私が本心からやりたいことなのか?を考え、見極めてから行動に移すことで、「自分の有限で大切なエネルギーを守る」ということにもつながるのではないでしょうか。
2.自分自身が疲れているのを見て見ぬふりをして、自分を労わり休む選択はついつい後回しにしてしまう
これもまたあるあるですよね(笑)
私は、疲れていることを認めてしまうと、家事や仕事などが何も手につかなくなってしまうのではないか?という恐れが常にあるので、「適切に休む」ということがとても苦手です。
自分の「本当は休みたい」という欲を、「適切に休む」ことで満たすのではなく、お菓子をたくさん食べることだったり、お酒を飲むことだったり、友達と会って話すことで発散しようとしてしまうことはありませんか?
「私、すごく疲れているんです!」というアピールが私たちはしたいわけではない。
思ったことをそのまま伝えることって、なかなか難しいけれど、本当は仕事だって家事だって育児だって楽しく自分のペースで取り組みたい。
そんな頑張り屋さんが私のコラムの読者さんには多いのではないかな?と思います。
だからこそ、今日から私と一緒に、世界でたった一人しかいない自分の本心を見て見ぬふりすることを、少しずつやめてみませんか?
「疲れていても、弱っていても、頑張らなくても大丈夫。」
そう自分にゆるせたとき、初めて自分の持つエネルギーの有限さや大切さに気づけるのかもしれません。
3.誰かに認めてもらいたい、褒められたい、好かれたいといった自分以外からの承認で自分を満たそうとしてしまう
突然ですが、私の学生時代の頃の話をシェアさせてください。
私の父はとても厳格な人でした。
そして、言葉で私を褒めたりするタイプではなく、父の理想に当てはまらないときには叱られることも多く、今思えば、私は父からの優しさや愛に不足感を感じていました。(今はとっても愛されてるなぁと感じています!)
その不足感を埋めるように、自分のキャパシティ以上に学業に励み、「先生に褒めてもらいたくて勉強する」ということに過度に執着をしていた時期もありました。
親以外の大人に認めてもらうことで自分に価値があると思いたかった、そんな学生時代を私はずっと過ごしてきたのです。
ですが、学生の頃に「先生に褒められたい」と思っていたその欲は、実は「父に褒められたい」という本来の欲を、代わりに埋めるための代替行為だったと、このブラフマチャリヤについて深く考える機会から気づかされました。
まずそもそも、「誰かに満たしてもらいたい」という欲の方向性も、今思えばとても他人軸で、「自分で自分を満たす」という方向性とは真逆です。
そして常に「父に叱られないための自分」を演じることでしか自分を守れなかったことは、ブラフマチャリヤの「エネルギーを正しい方向に使う」という教えを守れていなかった。
だからこそ、私の例でいえば、まず「父に褒められたかった」という自分の気持ちに寄り添うこと。
その気持ちに正面から向き合えずに先生からの承認を得るという代替行為していたということに気づくこと。
そして、本来は人からの承認があってもなくても、それでも「私は私のままで大丈夫」と思える心をはぐくむことが大切なのだと心から思います。
ブラフマチャリヤの教えを日常に活かす方法
ブラフマチャリヤの教えを日常で活かすために、私がよく行っていることをシェアします。
それはズバリ、内観することです。
今回は、実際に私がよくやっている内観方法をシェアしようと思います。
「私は今、何に焦っているの?」
「私は今、何を望んでいるの?本当はどうしたい?」
「私の本当に今やりたいことは何だろう?」
こんな感じで、私はいつも自問自答を繰り返すタイプの内観を行っています。
私にとっての内観の目的は、自分自身の内側に耳を澄ませることで、内なる自分との信頼関係を自己対話によって少しずつはぐくみ、どんな自分とも仲良くなること。
そして、内観した先の答えは、「十人十色」という言葉があるように、人それぞれ異なっていていいと思うんですよね。
本当に心から自分が求めているものがなんなのか?これを知ることが大切で。
適切な休養をとること、睡眠をとること、栄養たっぷりのご飯を食べること、自他から愛をたくさん感じること。
自分が心から求めるものはどんな欲であってもよくて。
本来、生きるための欲ってこれ以上なくシンプルで、とても愛おしいもの。
弱っている私も、元気な私も、どちらも可愛いなとまずは自分が自分に思えること。
自分に思えてはじめて、周りの人への理解もうまれるのではないのでしょうか?
私は、疲れたときや、やりたいことが分からなくなったときは、自分で内観を深めつつ、信頼できる人に適切なバランスで頼ることを心掛けるようにしています。
そこから、少しずつ自分の心の奥底にある気持ちや欲に気づけるようになりました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
ヤマ・ニヤマの四つ目の教えであるブラフマチャリヤ。
あなたは、ブラフマチャリヤのあるあるを読んでみて、どう感じましたか?
「本当は怒りたくないのに、ついカッとなって怒ってしまう…」
「本当は我慢したくないのに、つい我慢してしまう…」
「幸せな気分でいたいのに、ネガティブな情報に惑わされてしまう…」
それは自分の持っている限られた体力や感情、健康に生きていられる時間を本当に正しい方向で使えているのでしょうか?
「どんな自分のことも大切に扱う」というブラフマチャリヤの教えを守れているのかな?とひと呼吸おいて自問自答してみると、隠されていた自分の本心に気づけるのかもしれません。
ブラフマチャリヤとは、「自分や相手、環境のもつすべてのものに対して、自分の体力や感情や時間を正しい方向性で大切に使うこと。」=「自分の心から湧き起こってくる想いと言動や行動を一致させることで、すこやかな自分自身を育むこと。」
元気な自分も、そうでない自分も、どちらもいてもいい。
月の満ち欠けや自然のサイクルと同じで、人間もみんな揺れ動く波のなかで生きています。
いいときもあれば、そうでないときもある。
陰陽どちらの自分も存在することをまず自分で認めることは、
究極なセルフラブ・自己受容につながっていくのだと思います。
ブラフマチャリヤは、普段心に蓋をしまいがちな、私たちのピュアでクリアな想いを、そして生きていくために必要な欲を、適切に使えるようになるための「セルフラブ」を体現する教えなのではないでしょうか?
このブラフマチャリヤの教えから、まずはあなたが、あなたのどんな気持ちも大切にすること。
そして、唯一無二の存在である、自分の人生を大切に味わうための、自分なりの行動指針を持てるようになる。そんなきっかけのひとつにつながりますように。