ヨガの哲学 八支則とは?
ヨガの学びを深めていくと「八支則(はっしそく)」という言葉をよく耳にすることはありませんか?
これは聖者パタンジャリによってまとめられた『ヨーガ・スートラ』に記されている、ヨガの最終的な目標である「悟り」へと向かうための8つのステップのこと。
けれどこの教えは、なにも“特別な誰か”だけのためにあるものではありません。
むしろ「自分を大切にしながら、調和のなかで生きていくための知恵」として、今を生きる私たち一人ひとりの暮らしにそっと寄り添ってくれるやさしい道しるべなのです。
>>ヨガ八支則(はっしそく)とは?なぜヤマニヤマの教えは大事なのか
八支則の土台 ヤマ・ニヤマとは?
八支則の最初のふたつ「ヤマ」と「ニヤマ」は、ポーズや瞑想といった実践を“深める前に”大切にしておきたい、心の在り方や日常の過ごし方に関する教えです。
• ニヤマ:すすんで実践したいこと(心を調えるための習慣)
この10個の教えは、私たちが本来の自分を大切にしながら生きていくための“土台”のようなもの。この土台をまずは整えてこそ、ヨガのポーズや瞑想もより深く自分の内側に根づいていくのだと私は感じています。
私自身、「ヨガって、生き方そのものをやさしく整えてくれるものなんだ」と気づいたのは、ヤマ・ニヤマの教えに出会ったことがきっかけでした。
では今回は、ニヤマの4つ目の教えである「スワディヤーヤ(自己探求・自己学習)」について、実際の経験をまじえながら、心を込めてお届けしていきます。
スワディヤーヤ(自己探求・自己学習)とは?
「スワディヤーヤ(svādhyāya)」は、サンスクリット語で「sva(自分)」+「adhyaya(学び、朗誦)」 を語源とする言葉。「自分について学ぶこと」「聖典や知恵を通して自己を知ること」と訳されることが多い教えです。
けれどそれは、特別な本を読むことや講座を受けて学びを深めることだけではありません。
むしろ、日々のなかでふと立ち止まる機会を意識して持って、「今の私はどう感じている?」「本当はなにを必要としているのかな?」とやさしく問いかけてあげること。
私にとってスワディヤーヤとは、そんな“内なる自分との対話”を重ねていくことだと思っています。
学びとは、誰かのためでも完璧になるためでもなく、「本当の私を知るため」にあるのだと思うのです。今の自分にとって必要な学びを、愛をもって選択すること。
そのプロセスこそが、スワディヤーヤの実践なのかもしれません。
ではここからは、私が日常で感じた“スワディヤーヤあるある”を3つ、ご紹介していきます。
前回の記事では、ニヤマの教えである「タパス」を私なりの感性でお伝えしました。
>>0から分かるヨガ哲学【八支則⑧】タパスは“そのままの自分”を信じる勇気をもつこと
日常でのスワディヤーヤあるある
考えすぎて、逆に自分の気持ちが分からなくなってしまうとき
「本当にこれで合っているのかな?」
「もっと学ばなきゃ」「ちゃんと自分と向き合わなきゃ」
そんなふうに、自分の中に浮かんでは消えていく言葉に振り回されて、かえって“今の自分”が見えなくなってしまうことはありませんか?
私自身も、「ちゃんと学ぼう」とすればするほど、「誰かに追いつかなきゃ」と焦るほど、心が置き去りになってしまうような感覚になることがよくありました。
でも、スワディヤーヤは「知識を増やすこと」だけが目的ではありません。
そして、自分は自分以外の誰かには、なれないんです。
素敵だなと思う人や憧れる人はいてもいい。だけど、その人になろうするのではなく、自分にしかない「原石」を磨くことこそが、私はスワディヤーヤだと思っています。
「今の私は、どう在りたい?」と、ときどき自分にたずねてみること。
ときには、立ち止まることや迷うことも自己探求のひとつの過程だと思えば、悩み揺らぐ自分さえも、愛おしく感じられるのではないでしょうか。
たくさん学びすぎてしまって、たまにふと「これでいいのかな」と不安になる
たくさんの知識や学びに触れて、「もっと知らなきゃ」「まだ足りない」と焦ってしまう。
学べば学ぶほど、「私はまだ何も知らない」と不安に感じてしまう…。
でも、スワディヤーヤとは「不足感を埋めるため」ではなく、「愛をもって自分に必要なものを補っていく選択」のことだと私は思っていて。
自分の“現在地”を知り、自分にとって必要な方向に光を当てていくための、最適なアクションを選んでいくこと。
だからこそ、インプットすることだけに偏らず、今の自分にできるアウトプットをしてみることもまたひとつのスワディヤーヤの実践なのではないでしょうか?
たとえば、
• 心に残ったフレーズをノートに書き留めてみる
• 今の自分の心に響く言葉の共通点を探してみる
大切なのは、“何を学ぶか”ではなく、“なんのために学ぶのか”。
スワディヤーヤの本質は、「今の私がよろこぶ学び」を選択することにあるのだと思います。
「ちゃんとしなきゃ」「私がやらなきゃ」に縛られそうになるとき
「生徒さんに見られるからこそ、もっとちゃんとヨガの実践も練習も勉強もしなきゃ」
「ヨガの先生としてちゃんと評価してもらえるようにしっかり仕事しなきゃ」
そんなふうに、自分に厳しくなりすぎて、肩の力が抜けなくなるとき…私もよくあります。
でも、ヨガ哲学が教えてくれるのは、どんなときもまずは「そのままの私」を大切にすること。
ちゃんとできない日も、思うように進めない日も、「それも私だよね」と受け入れてあげること。その芯のあるやわらかさのなかでこそ、スワディヤーヤの実践が深まるのかもしれません。
スワディヤーヤの教えを日常に活かすための自己対話の問い
私自身が日々のなかで、自分と深く向き合いたいときに使っている問いを今日はみんなにご紹介します。
今の心の状態や感覚にやさしく気づくための、内なる自分探しの旅への入り口に、ぜひ使ってみてもらえたらうれしいです。
☑ 今の私は、私にとってどんな存在に見える?
自分をあえて“他人のように”ただ眺めてみることで、「内観」と「客観」のバランスが育むことにつながります。
☑ 今日の“心の天気”は?
晴れでも、曇りでも、雨でも嵐の日があっても、それが「いまの私」。その日の天気に合った自分への接し方で大丈夫。ジャッジせずに今の事実を観測していく視点を持ってみて。
☑ 最近、私の身体がいちばんよろこんだ瞬間は?
“考える”ことも大切だけれど、“感じること”でしか気づけないものもあるはず。
☑ 私は今、どんなことを学びたい? それはなぜ?
学びたい理由を言語化することで、知識があなただけの“生きる知恵”へと変わっていきます。
☑ 今の私に、どんな言葉をかけてあげたい?
どんな自分もやさしく抱きしめるための言葉のセルフケアに。
☑ 「やらなきゃ」じゃなくて「したいからする」を選べたのはどんなとき?
誰かが決めた基準ではなく、“私の感覚”を確かめることも「本当の自分」を知るための一歩に。
☑ 最近、私が置き去りにしてしまっていた“本当の私”は、どこにいた?
ただ他愛もないことで笑っていたり、美味しいご飯を食べたり、ヨガで心地よさを感じたり…ただ自分の五感を大切に感じていたときはいつでしょうか?
まとめ
いかがでしたでしょうか?
ヤマ・ニヤマの9つ目の教えであるスワディヤーヤ。
それは、必要以上にたくさん学ぶことではなくて、“今この瞬間の自分”を見失わずに大切に生きること。そのために自分に必要な学びを愛あるまなざしをもって選択すること。
そんな深くてやさしい在り方なのではないでしょうか?
このコラムを読んでくださったあなたが、忙しさに飲み込まれそうになるときも、ふと立ち止まって「今の私は、どうかな?」とやさしく問いかける時間を持てますように。
そしてその問いが、あなた自身の内側に眠る“本当の答え”に出会うきっかけとなりますように。
ご感想やご質問も、いつでもお待ちしております♡
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